イ・ギョンシン
咲ききれなかった花
弘益大学絵画科を卒業し1993年から5年間、ナヌムの家に暮らす日本軍性奴隷制被害者ハルモニとの美術の時間をとおして世代を越えた温かい友情を育んだ。内外でハルモニたちの絵の展示会を開き、日本軍性奴隷制問題を知らせることに一助した。ハルモニたちとの美術の時間をきっかけに仁荷大学美術教育大学院で精神疾患患者の美術治療の可能性について学んだ。このような経験は自ずと美術の公共的・社会的順機能に対する関心へとつながり、その後、国内移住女性たちを対象とする美術治療授業をおこなってきた。日本軍性奴隷制問題をテーマにした絵を描き、現在も画家として作品を製作し韓国、日本、ドイツ等で展示会を開いている。
作者前書きから
『咲ききれなかった花』が日本で出版されて、とてもうれしい。
ところが私は、序文の最初の一文を書いた後、ただただそれを見つめてばかりいた。願っていたことが目前に迫っているのに言いたいことが多すぎてかえって言葉が出ない時のように、何からどう始めればよいのか気持ちが雑然としている。
韓国と日本は地理的に近いのに、いまだに解けない歴史的な問題を抱えているからだと思う。
1991年8月14日、金学順ハルモニが「慰安婦」被害者であることを明かにし、被害者たちの証言が続くと、国中が衝撃を受けた。その後の日本軍「慰安婦」運動の成長は被害者たちの積極的な活動につながり、この問題はメディアでメインニュースとして扱われるようになった。
本書で紹介する絵も、日本軍「慰安婦」問題の実相を知らせる素材としてさまざまなメディアだけでなく、教科書でも紹介された。従って、韓国人であれば誰でも日本軍「慰安婦」問題を知っている。
2018年に韓国で本書が出版された時、読者から一番たくさん聴いた感想は、「慰安婦」問題を歴史的な問題としてだけ見ていたという反省だった。ある読者は、定期的に出てくる歴史問題としてしか考えていなかったと言い、またある読者は日本軍「慰安婦」の実態があまりにむごいので目を背けていたと告白した。
しかし本書を読んで、被害者という名の影に隠されたあどけない顔が見えてきて、生涯にわたり自身の人生から逃れ回るしかなかった人生を理解することができた、自身の苦痛を正面から見すえて絵を完成させていくハルモニたちの勇気を応援したくなったと語った。
多くの人々が日本軍「慰安婦」被害者が描いた絵のことは知っていても、彼女たちが自らの傷を表現するまでに再びなめなければならなかった苦痛や、その苦痛に耐え葛藤しながら絵を誕生させるまでに注ぎ込んだ情熱については知らなかったのだと思う。
この点が、本書のもう1つの側面だ。この本は、日本軍「慰安婦」問題という歴史を語るものではなく、その後の傷をどう癒すのかに関する本である。暴力がやんだからといって終わりではないことを、私たちはよく知っている。とりわけ性暴力はなおさらだ。
(作者前書きより一部抜粋)